外語マガジンsakuya

「舞台の上で生きる・その2」

あの頃からずっと変わらないのは
「見ている人を楽しませたい」という気持ち。
海の向こうの子どもたちをも笑顔にする“児童劇団の俳優”とは。

留学後に訪れたチャンス

NPO法人劇団道化と出会ったのは留学中ですか?
ちょうど留学が終わって、帰国する頃でした。「通訳を探してる劇団がある」っていう話をいただいて。まだビザも残ってたから、「やります!」って仕事を受けました。留学中は飲んでばっかりだったので、中国語も全然上達していなかったんですが、通訳の仕事をし始めると、否が応にも喋らないといけない状態になるので、そこからグンと伸びました。
インタビュー風景
具体的にはどんなお仕事をされたんですか。
劇団道化の芝居を、北京の中国児童芸術劇院が中国で公演するために、1ヶ月ほど稽古をしたんです。その、稽古通訳を担当しました。そのときは、“一言一句正確に訳す”ことに一生懸命でしたが、今思えば“僕自身が演出”ってぐらい重要な仕事をしていたと思います。
どんなときにそう感じたんですか。
なんとなく想像がつくかと思うんですが、演出家の言葉って、日本人同士でも伝わりにくいんですよ。「なんか違うなあ」とか「その顔じゃない」とか、感覚的な言葉が多くて(笑)。それを初めは直訳してたけど、「演出家の指示に対して、俳優の演技が変わらない」ことが一番いけないので、僕なりに考えて、より具体的な指示をするようになりました。何度か通訳の仕事をさせてもらううちに“一言一句正確に訳す”のではなくて、“うまくいく方向に導く”のが通訳だと考えるようになりました。演劇の通訳に限った話じゃないかもしれないですけどね。僕の中国語は完璧じゃないし、話せないこともいっぱいあるから、完璧な翻訳をするのは難しい。でも、通訳が考え込んでコミュニケーションを止めてる時間が一番ムダなので。僕より中国語が上手い通訳はたくさんいる。それでも自分が通訳をやる意味を考えると、やっぱり“芝居がわかる”っていうことだけがアドバンテージ。演出家の意図を逸脱しない程度に、俳優に指示を出しています。
初めて演出家の通訳という仕事をしたときは、どう感じましたか?
「こんな面白い世界があるんだ!」と思いました。まず、プロの劇団の稽古を間近で見れるっていうことが貴重でしたし。それに、普段テレビで芸人さんとか見て「馬鹿やってる職業やな」って思ってたけど、「あ、違うんやな」って思いました。何十回も何百回も稽古して初めて、“馬鹿で面白いもの”が出来上がるんだなって。劇団道化も喜劇をやる劇団なので、そういう“馬鹿をやる”とか“笑い”とかに対して、真面目なんです。“真面目に馬鹿をやる”ってことに、「あーなるほどなぁ」って感じて。
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中国の俳優のレベルの高さ
稽古通訳をさせていただいた中国児童藝術劇院の俳優の人たちはすごいレベルが高かったです。まず美男美女で、演劇エリート学校の中央戯劇学院の卒業生がゴロゴロいる。踊れるし歌えるし、顔もきれいやし。なんかちょっと背が低めの男の人がいるな、と思ったらすごい身軽で、手を使わずに側転するとか、すごい芸を持ってたり。セリフも稽古が始まる前にばっちり覚えてきてる。日本には演劇を専門で学べるところが少ないけど、中国は演劇専門の学校があるので、全体的なレベルの高さを感じます。

自分も舞台に立ちたい

大学卒業後の劇団道化の仕事も、通訳だったんですか。
はい。2012年7月に北京へ行って、このときは劇団道化の俳優が中国で稽古・公演するための仕事をしていました。主に、中国人スタッフとの打ち合わせの通訳です。その年の9月、今度は雲南へ行きました。そのときは少数民族の子どもたち向けた公演の通訳スタッフとして同行して。そこで意識が変わったんです。

西安公演

何があったんでしょうか。
北京のときは、立派な劇場で公演していたんですが、雲南の小学校では、校庭に舞台を作ったんです。劇場はもちろん、体育館もありませんから。だから、校庭の隅に舞台を作って、子どもたちはというと、教室から椅子を持ってきて、舞台の前に並べて見るんです。そうすると、子どもたちと俳優との関係性がすごくよく見えて。楽しそうに笑ってる子どもたち。月並みだけど、その純粋な笑顔が「いいなあ」って思いました。それで、「自分も舞台に立ちたい」って(笑)。
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学生たちのアシスト
少数民族の子どもたちって、普段北京の人や雲南省の省都の昆明の人たちでさえ会ったことのないような山奥に住んでるから、最初はやっぱり知らない人がいっぱいきて緊張してるんです。でも、APU(立命館アジア太平洋大学)の学生サークルの子たちが、遊びで子どもたちの緊張を上手くほぐしてくれるんです。舞台が始まるころにはみんな笑顔になっていて、すごいなぁって思いました。
おおー!
2012年の暮れに劇団道化から「来年は道化の俳優に中国語を喋らせて、芝居をやってみようと思うけど、やらないか」って声をかけてもらったんです。それで「やります!」って返事をして。2013年の春、劇団道化がある大宰府に来ました。
すごい。それって野村さんがいなかったら劇団道化の俳優の中国進出というのはなかったのでは?
そうですね。中国へは既に進出してましたけど、僕がいなければ「日本人が中国語を喋って演劇をやる」っていうのはなかったと思います。
劇団の俳優さんって、普段どういう仕事をしてるんでしょうか。
ほとんどが稽古と公演です。もともと道化は日本で児童劇をやっている劇団なので、普段は日本の子どもたちに向けた公演をしています。
仕事が始まったときはどうでしたか。
楽しかったですね。最初は気持ちよくやらせてもらっていました。今ほどダメ出しもされずに(笑)。『3びきのコブタ』のオオカミ役をすることになったんですが、「標準語喋りにくいなあ」と思ってたら「大阪弁でやっていいぞ」って言ってもらえて。これが意外と子どもたちにウケるんです(笑)。その年は、8月に雲南本公演を控えていたので、その第一歩として、5月に福岡在住の中国人の子どもたちを招いて中国語で公演しました。
初めて中国語で児童劇をやってみて、どうでしたか。
まず「ウケるんだ、よかった」って思いました(笑)。でも、子どもが舞台を見ながら叫んでる言葉がわからなかったりもして。「これはまずいなあ」と思いましたね。僕しか中国語できないのに、これに対応できないとダメだと。
8月、役者として行った雲南はどうでしたか?

雲南公演

当日は大学生ボランティアの人たちが遊びで子どもたちの緊張をほぐして盛り上げて、僕らが公演する、という流れだったんです。語劇のときにも感じたことですけど、子どもたちの笑顔のために、大人たちが真面目に頑張るっていうチームワークが良いなあって思いました。あとはもう、いろいろ必死でした。山奥の小学校に行ったときは、1000人くらいの子どもたちの前で公演したんです。端に座ってる子とか絶対見えてへんやろうなと思いながら(笑)。でも一生懸命舞台を見ようとしてくれて。僕らの演技に対して、1000人分の反応が返ってくるから、すごいんですよね。でもその公演は途中で雨が降ってしまって。校長先生が泣く泣く中止の決断をしたんですけど、子どもたちに「帰ろう」って言っても、みんななかなか動かなくて。「続きが見たいの?」って聞いたら「うん」って言ってくれて。嬉しかったなあ。
うわぁ。それは嬉しいですね。公演はどれくらい年間されるんですか?
国内だけで年間約250回です。中国は、2014年に重慶、上海、広州、2015年も何度か上海へ行って、今年は4月に西安、9月に上海ですね。

日中の子どもたち

頻繁に中国に行ってるんですね。素朴な疑問なんですが、中国と日本の子どもたちの反応って違いますか?
ほとんど一緒です。同じところで笑いますよ。でも、中国の子たちは声がでかい。とにかくみんなギャーギャーいうから、そうなっちゃうともう何言ってるかわからないです。「哈哈哈哈…好的好的好的(はははは…よしよしよし)」とか言ってごまかしてる(笑)。
子どもとの掛け合いがある演劇なんですね。
そうですね。例えば『3びきのコブタ』では、オオカミに藁の家を吹き飛ばされたコブタが、客席のなかに逃げ込むんですけど、僕が扮するオオカミが「どこに行った?」とか子どもたちに聞いたりします。ギター弾きながら歌もうたいますよ。「おいらは~いっぴきオオカミ~♪」なんて。
へぇ!おもしろそう!
おもしろいですよ。子どもたちって、コブタを応援してても、いざオオカミに「どっち行った?」とか聞かれると、とっさに「あっち!」って答えちゃう(笑)。以前、中国公演で面白いことがあったんです。観客席にいるお母さんの後ろにコブタが隠れて、そこにオオカミが「きれいなお母さん、後ろにコブタ隠れてないですか?」とか口説きながら聞き出す、っていうシーンがあるんですが、そのとき、お話に入り込んじゃった子どもが、すごい形相でお母さんの前に立ちはだかって、僕のギター蹴り上げてきて…本当に“オオカミが憎くてしゃあない!”みたいな感じで(笑)。
かわいいですね(笑)。
はい。それを大人が見て笑ってる(笑)。でも子どもたちも毎回それぞれ反応が違うから、いつも面白いです。
日本と中国、それぞれの公演で気を付けてることってありますか。
オオカミのキャラが乱暴者だから、子どもとの掛け合いのときに「嘘つくな!」とか「静かにせえ!」とか「だまれ!」とか言うんですよね。それで日本で1回だけ「もうちょっとキレイな言葉遣いできませんかねぇ」って言われたことはあります。でも、普段先生や親たちが言えないことをオオカミが代弁するので「スカッとしました!」みたいな反応が多いですね(笑)。中国では…加熱しすぎて収拾がつかなくなることがあるので、気をつけてます。
子どもたちが興奮しすぎてということ?
はい。一度、重慶で公演したときなんですが…。小道具のボールを客席に投げ込むシーンがあったんです。そしたらそれに子どもたちが群がってボールが回収できず、芝居が進まなくなって…(笑)。
なるほど。
あと中国は、親の楽しみ方が違います。舞台に滑り台を作って、子どもたちに滑ってもらうっていうのをやったときに、「うちの子も!」ってお母さんたちが殺到して大変なことになりました。日本で子どもが調子に乗ってると、親は「ちょっと落ち着きなさい」っていうけど、中国の―とくに都会の―人たちは、教育熱心なのと「とことん楽しんで帰ろう」っていう気持ちがあるらしく、そういうチャンスがあると「われぞわれぞ」となります。いろいろ大変ですけど、盛り上げてくれるのでありがたいです。

西安で起きた奇跡

稽古・公演以外も仕事はありますか。
公演がないときは、幼稚園・保育園・小学校・中学校・高校に「お芝居見ませんか?」っていう営業をしています。でも道化には中国語できる人が僕しかいないので、中国関係の仕事をしていることが多いです。中国の劇団とやりとりをしたり、資料の翻訳をしたり。中国で公演をする際には、段取りから現地通訳まで全てやります。
稽古もしながら、忙しいですね。
そうですね。夏休みはほぼ毎日公演があるんですけど、その合間を縫って、営業もするし経営的なこともするし、遠征のときは俳優が交代で運転して移動してますよ(笑)。
これまでお仕事をされていて、一番嬉しかったことは何でしょうか。

西安公演

今年の4月、西安で児童国際演劇フェスティバルに参加したときのことです。小学校での公演がラストステージだったんですけど、子どもたちがもうとにかく笑って。途切れずに、ずーーっと。笑いすぎて椅子から転げ落ちる子なんかもいて…(笑)。とにかく爆笑。笑い声の“渦”でしたよ、あれは。そんなこと初めての経験で、「バクバクバク」って心臓が鳴って。ふと我に返って、「今、ものすごい状況におる」って思って。それで、ちょっと泣きそうになってしまって。演出の人に「お前泣いてたやろ、ばれてるぞ」って言われましたけど(笑)。その晩、「あー、高校のとき、“中国語でウケたい”と思ってたのがつながってる」って思ったんです。
ほんまや、すごい…!
中国語やっててよかったなあって思いました。「こんなことあるんや」って。だからまたそういう芝居を作りたいです。芝居やってると、千秋楽・ラストステージで何かが起きるってことがけっこうあります。みんなちょっと妙な力が入って、ありえないミスが起きたり、そういう奇跡みたいなことが起きることもある。不思議ですよね。
早くまた、中国公演に行きたいですか。
はい。舞台って生モノなんで、西安でできたあのステージを、同じ作品で同じメンバーでもう一回っていうのは、多分もうできないんです。もう一度そういう状態に巡り合いたければ、新しいものを創らないといけない。全く同じものをやるってなると、やっぱり人間なので惰性があるし、自分を飽きさせないためにも新しい風を入れていかないと。もう一度あの笑いの渦に飛び込みたいなあ。
夢はありますか。
北海道からずーっと南の沖縄まで、芝居しながら旅するのが夢です。子ども向けの芝居をするときって、いつもワゴン車で移動するんです。俳優3人で、後ろに舞台道具積んで、あっちこっちに出かけて…みたいな。
旅芸人みたいですね。
うん、やりたいですね。あとは、もっとお金稼ぎたい(笑)。そのために、もっとおもしろい事業を企画していきたいですね。児童劇っていうジャンル自体、一般的には教育的な側面が多いんですけど、うちは「子どものとき、本当に笑い死にするくらいの楽しい芝居を見た!」って言ってもらえるようなものをやりたいんです。
教育的な内容の公演もされているんですか。
中高生向けの芝居は、平和学習的な内容のものもあります。毎年9月ごろになると知覧の特攻隊をテーマにした舞台をやるので、坊主になるんですよ、僕。

外国語学部について

卒業した今、野村さんが考える“外国語学部”って何でしょうか。
卒業してから、「あぁ、すごい大学やったんやなあ」ってつくづく思います。福岡の大学の先生と以前お話したときに、「杉村博文先生とか古川裕先生の授業を受けてたなんてすごすぎるよ!」って言われました。在学当時はそんなにすごい先生だと知らずに授業受けてましたけど(笑)。
たしかにそうですよね(笑)。
あと、中国で仕事してると、よく先輩に会います。重慶に公演に行ったときに、領事館に勤められてた方が、外大で中国文学を専攻されてた先輩だったんです。食事の席とかめちゃくちゃ恐縮しました。「あの漢詩、言えるかい?」なんて言われたりして…(笑)
えー!言えません…(笑)。
どの漢詩…?って感じやったけど(笑)。あと、外国語学部ってみんな我が強いんじゃないですかね。専攻語が違う時点で「人と自分が違う」っていうのが普通やから、「自分はこれでいいんだ」って思う人が多いかも。それから良くも悪くも、4年で卒業しないとあかんみたいな縛りがないですよね。親的には辛いかもですけど(笑)。
最後に、現役中国語劇団の人たちにエールをお願いします。
日本人にも、中国人にも、笑いや感動を与えられる。そんな作品を創ってください!
「野村さんの所属する劇団のことをもっと知りたい!」と思った方は…

NPO法人 劇団道化のウェブサイトへ↓
http://www.douke.co.jp/
劇団道化の歴史や公演作品、所属する役者さんなどが紹介されています。
動画ページでは動く野村さんも見ることができますよ!
次回更新は10月です!

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