外語マガジンsakuya

「特殊言語を使って生きる・その2」

30歳を目前に、再び長期でモンゴルへ。
がむしゃらに挑戦し続け、いつのまにか身についていた力。
知見も出会いも自信も、経験のなかで手に入れたもの。
自分のすべてを使いながら、彼女は今日も一本の道を切り拓いていく。

大使館での2年間と新たな挑戦

大使館に入って、モンゴルでの生活が始まったんですね。
はい。2011年の4月から、2年間です。
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2011.3.11
霞ヶ関の外務省での研修初日が3.11東日本大震災でした。家に帰れなかったです。でももうそのときにはモンゴルへの赴任が決まっていたので、すごく考えました。日本がこんな状態なのに、自分は外に出て行こうとしていいのかなって。悩みながら行ったんですけど、現地でも仕事の中で何度も地震と向き合いました。自分ができることをしないといけない、そう思いました。
モンゴル大使館ではどんな仕事をされていたんですか。
広報文化館の調査員として、国費留学の業務をしていました。
国費留学!
そうなんです。私が大学院卒業時に申請したのはモンゴル政府の国費留学で、私の業務は日本政府の国費留学だったんです。今度は逆に合格とか不合格とかを伝える立場になってしまったんです。心の痛む話ですよね。
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地震の余波
私が赴任した年から、国費留学の受験者がすごい減っちゃったんです。地震があったから日本はもうダメだっていうモンゴル人も多くなったし、それまで日本語は大人気だったんですけど、これからは中国語だ、ってなったりして。「あ、曲がり角が来たんだなあ」というのを働きながら肌で実感しました。自分が幼稚園で教えていた頃のようなあの人気はもうなくって、日本にいったら大変だとか、放射能汚染が、とか、みんなすごく親日で助けてはくれるんだけども、先々日本の人気はなくなるな、ようやくその時代が来たんだなっていう感じがしていました。
大使館での2年間はどうでしたか。
とても楽しかったです。始めた当初は全然想像していなかったですけど、働きだしてみたら自分が今までやってきたことが、すごく糧になっていたというか、自分の持っていた人脈が役に立ったり、自分のそれまでの経験値が役に立ったりとか、これまで歩いてきたところを走馬灯のように体験する2年間でしたね。
まさに外国語学部生って感じで、羨ましいです。
いえいえいえ。なんでここまでモンゴルにこだわるのか、自分でも理解できない(笑)
きっかり2年契約なんですか?
そうです。それで帰国して、しばらく毎日ぼーっと横須賀の海を見て過ごしてました(笑)2年間ダッシュで走り続けたので、すごい燃焼して帰ってきて。ぼんやり海を見ながら、その先の選択肢を色々考えていました。
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大使館時代に送ってもらった手紙 大使館勤務時代に、「メールじゃなくて時々手紙が欲しい」と言って、日本の親友に送ってもらった手紙の数々です。とても励まされました。
それは例えば
外務省で働こうか、別の仕事をしようか、あるいはSave the Childrenみたいな方向へ行こうか、東北に関わることをやろうか、とか。30代になって、自分のキャリアみたいなものを考えたときに、色々経てきた道のおかげで選択肢が広がったっていう思いはありました。ただ、大使館の仕事って、専門調査員っていう身分でモンゴルに行けて、大使館員として働けるわけです。大使館の携帯を持って、「大使館員です」って言っていろんな省にアポを取れて、いろんな人に会えるんですよ。その身分が保証されてるなかで自分は仕事をしてきたし、周りのモンゴル人も「大使館の梅野さんだから」って仕事上いろんなことを協力してくれてたんだろうなって考えたんですよね。その保証がない中で仕事をしてたとしたら、自分はどこまでできたかな?っていうのを、挑戦してみたくて。
なるほど…!
それで選んだのが、JICEっていう人材育成系の国際協力の民間委託団体だったんです。実はここ、NGO時代に派遣社員しながら働いていたところで
そうなんですね!
もともと一緒に働いていた人がそこで偉くなっていて(笑)、たまたま一緒に飲んだときに「梅野さん、モンゴルはもうお腹いっぱいですか?」って聞くんですよ。「全然!まだまだ入ります」って(笑)。「今度、モンゴルの事務所の担当者が辞めるから、応募してみない」と声をかけていただき応募をしました。今まで専門調査員って外交旅券でモンゴルに行けたけど、一般旅券で行くわけですよ。普通の人が観光に行くパスポートですよね。
外交旅券!?別のパスポートがあるんですか!
そうなんですよ(笑)
すごい、そこですよまず(笑)
そうなんですよ、だから何もないなかでどこまでやれるかを試すにはちょうどいい機会だし、まだまだモンゴルに行けるし、1年の半分くらい行ったり来たりできるので、「やります!」って請け負ったんです。そっからだんだん私、必殺仕事人みたいになっちゃって…(笑)
どういうことですか(笑)
請け負った事業をいかに整えるか、みたいな感じになってきたの。
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JICEでの仕事
モンゴルの国家公務員向けの留学事業(JDS)に関わっていました。日本へ2年間留学する人を募集選考して送り出して、学ばせて、帰国させるっていう一連のオーガナイズをする事業で、モンゴル現地事務所のカントリーオフィサーとして、現場を調整する役割を担っていました。現地にもアパートを借りて、行ったり来たりしていましたね。
インタビュー風景
JICEの仕事をされていたのはどれくらいの期間ですか。
1年間で燃えつきました。もう、キレイに整えたからいいだろうって。大使館の国費留学の経験があったから、なんとかやれた仕事でした。たった1年で転職するのは自分としてもあれだったけど、もうやりきったと思ったので上司に「辞める」って伝えたんです。そしたら防衛省の話が舞い込んできました。
やっと防衛省につながりました…!
JICEの仕事を辞めるにしてもマイナー国の担当として無責任には辞められないから、応募してくれそうな人を探さなきゃいけないじゃないですか。そんな人を探して、「応募してみない?」って誘うつもりで飲みに行ったら、逆に「梅野さん、そういえば防衛省が募集してるの知ってますか?」って。
そのときはどう思ったんですか。
「そういう仕事があるならやってみたい」と思いました。今までモンゴル語職っていうと、JICAやJICEのような国際協力系の業界と外務省ぐらいで、企業系の仕事もあまりないんですよね。現地で雇われるのは現地職員ですし、日本人がモンゴル語を生かす仕事ってほんとに狭かったんです。それが初めて防衛省でモンゴル語職を雇うっていう話だったので、それ自体がまず画期的だなと思いました。
初めてだったんですね!すごい。どういう意図での採用だったんですか。
調べてみると、人材育成系の国際協力のような仕事でした。能力構築支援っていうんですけど、災害救援や人道支援とか、いわゆる軍事的なものにあたらない分野の中で、いろんな国が日本の自衛隊の経験から教えてもらいたいことがあるんですね。いろんな国でニーズ調査をした結果、教えてほしいっていう要望が実はあることがわかったようです。
へぇ…!そうなんですね。
モンゴルからはPKO派遣できるような道路の構築の仕方を教えてほしいという要望を受けて、道路をつくる技術を教えることになったんですね。砂利道とかではなくて、アスファルトを敷くところまで教えてほしいというのがモンゴルの要望で、それなら3年間でやりましょう、となって。長期で事業をやるにあたって、モンゴルという国の知見を持っていて、語学ができる人間を採用したほうがいいんじゃないかという判断だったようです。
なるほど、そして応募されたんですね。
はい。辞めるって決めたのが2014年の1月くらいだったんですけど、防衛省は年度始めの4月には採用したかったみたいで。でも私が応募したのが結局4月になってからだったので、5月に防衛省の面接を受けて、すぐモンゴルに行ってJICEの現地引き継ぎをして、現地で採用通知の連絡を受け、入省日の相談をして、それを日本のJICE本部にいる上司に相談し…という感じで、モンゴル出張中に退職日と入省日を決めてたんです(笑)
めちゃくちゃ忙しい…!
それで現地引継ぎも終わって、モンゴルのアパートも引き払ってさあ退職だってことで、5月末に成田に降り立ったんですね。携帯電話の電源を入れたら、防衛省からメールが入っていて「まだ入省前ではありますが、念のため急な話になるのでお伝えしておくと、入省2週間後にモンゴルに出張に行っていただきます」と。
インタビュー風景
ええ!帰ってきたばっかりなのに!
ほんと、いや私いま成田に着いて帰国したんですけど…みたいな(笑)。そして慌ただしく防衛省に入り、慌ただしく出張に行ったら、もう全然違う世界が広がっていてびっくりしました。

防衛省の世界へ

どんな世界だったんですか。
まずそれまでは出張も一人で行っていたんですが、防衛省に入ったあとは、出張同行者が自衛官っていう。
うおお。
屈強な土木系の自衛官9人と行きましたね。総勢10名で。
なんかすごい迫力ですね。梅野さん以外にモンゴル語できる人はいるんですか。
いないんです!
わー責任重大です!基本的には仕事は通訳ですか。
通訳は、そんなにないです。2014年は測量の技術を教えることになっていましたが、測量の教育のような専門的な通訳はできないので、それはプロの通訳の方を現地で雇い、私は現場の調整をするという感じですね。
人を手配したり、段取りしたりとかですか。
そうですね。教育事業全体のコーディネートをします。自衛官の方が現地の軍の方に教えるんですが、それが円滑に進むように、ときには通訳をしたり、いろんな根回しをしたり、庶務的な役割ですね。
なるほど。そんな職業もあるんですね。
モンゴル語業界の中にはもちろんプロの通訳の方がいて、私みたいな半年しか留学してない語学力で、どう生きて、食べていくのかっていうのがずっと不安だったんです。でも最近になって、だんだん自分のやってきたことが蓄積されてきて、モンゴルとの調整を必要としている人のために一番良い状態の事業を調整していく「必殺仕事人」みたいな仕事が成り立つんだ、っていう自信がなんとなく生まれてきました。防衛省の雇用がきっかけで、そういう風に食べていけるものなんだって思えるようになってきて…。普通の人が歩む道と真逆に歩んできたからなー…。いろんな職を渡り歩いて、ひとつの組織には属していないけど、こういう形で社会人を生きていけるんだっていうことに最近やっとほっとしているところ。ほんと外語生ならではの生き方だなと思います。
言語や海外経験をいかした生き方、ですか。
そうですね。でもこうやって特殊言語ってぼちぼち仕事が増えるようになったんだなあって思いましたね。時代が来ていると思います。でもその分日本の組織のなかにはその国の知見とかがないんです。たとえば、途上国はレスポンスが異常に遅いから、この件について調整したければ何ヶ月くらい前からやらないと絶対無理だよっていう感覚を知っている人は持ってるわけです。でも日本の役所の方からしてみれば、「え、こんなのメール打ったらすぐでしょ、なんで1・2週間後になっても返事がないの」とか、会計で領収証を出した時にも「え、この紙っぺらが領収証なの?これは田舎町で両替したからこうなるんですか梅野さん」「違います首都です、これしか出てこないんです」みたいなことになるわけです(笑)。全世界を見渡したときに、日本の方が非常識なんだよ、すごすぎるんだよって、それを知ってる人があまりいないわけですよね。そう考えると、その国の独特の生活や習慣とうまく調整を図るためには、その国の知見や経験を持っていて、実務だけじゃなくて人間的な部分を使って現地の人と仕事ができる人がこれから求められてくると思います。おそらくこの先、外国語学部生はそういう部分が強みになってくるんじゃないかな。大使館でいろんなモンゴル人の関係者と仕事をしていていも、単純に語学で仕事をしているっていう以上に、自分の人間的な部分を使わないと仕事ができないんですよね。それが特殊な外国という場所でできるかできないかは、とても大きいと思います。
…防衛省と梅野さんのイメージが、とてもかけ離れてるんですが…。
そうですよね。私もまさか自分がこの省に入るとは思ってませんでした。入って大丈夫なんだろうかって(笑)
翌年もモンゴルに行ったんですね。
そうです。2015年も7~9月まで出張で1ヶ月半モンゴルに行きました。カンボジアにも行きましたよ。
カンボジア!?
カンボジアの「カ」の字も知らないのに(笑)。昨年度からカンボジアも担当になったんです。
何でですか。
割り振りがきちゃったんですよね(笑)。カンボジアも同じ、PKO派遣のための技能教育の事業です。
え、そんなこともあるんですか…?
はい(笑)。もちろんカンボジアの言葉はわからないので、つたないながらも英語を思い出しながらやりくりして…それで思ったのは、やっぱりその国の言語ができるって、その人の目の前まで行けるくらいの力があるんだなってことですね。だからカンボジアに行ったことでいろんなことがよくわかりました。どうして私がこんなに現地語(モンゴル語)で仕事をするのが楽しかったのか、客観的に見ることができましたね。
通じない、近づけないっていうのを体感したからこそ、ということでしょうか。
そうですね。カンボジアでは相手の言ってることがわからないので、私は蚊帳の外でいられるんです。それはそれですごい楽なんですよ(笑)。あとから通訳の方から「ああそうですか」って聞けば言いわけじゃないですか。でもそれってやっぱり一歩も二歩も後ろに下がるような気持ちがあって。英語は自分にとっても相手にとっても母国語ではないですし、あるいは通訳を介してやりとりするっていうワンクッションが入ることによってこんなに楽なものなんだと知りました。でもモンゴルでは向こうの母国語で相手に直接対峙するから、自分の人間的な部分をたくさん使わなくちゃいけないんです。これまで自分がモンゴル語で仕事をしていたときにどれだけ自分の全部で挑んでいたかってことが初めてわかりました。でもそうやって相手の母国語に敬意を払いながら仕事をさせてもらうのって本当に面白い。そういう発見があった意味では、カンボジアに行けて良かったです。
3年契約なんですか。
そうです。任期付のお仕事です。だからその先は何をしてるか、私にもわからない(笑)。こんなに自由に生きていていいんでしょうか。

自分で道を拓く

外語生はかなりグッとくる生き方だと思います。
イギリスの大学院生とかって、大学院出た後にインターンをいっぱいするんですよね。インターンやバイトみたいなことをしながら、企業とかに就職していくんですよ。でも日本には新卒ブランドがあるじゃないですか。新卒から大手に入ろうと頑張りますよね。まずは具体的な自分のできうることから始めて、いろんな場所で下積みしてっていうよりは、のっけから大きな会社に入ってそこで教育を受けて社会人になっていくという道筋ですよね。院を出た後の私は考え方が真逆だったんですよね。
イギリス方式ですか。
大学院を出た後、とりあえず日本国内で一番モンゴルの児童文学に近いところでアルバイトを始めて。自分は一個の組織のなかで経験を積んできたわけではない代わりに、簡単な事務作業とか会計とか予算の管理とか、たぶん他の人が会社で積むような経験をいろんな場所でやらせてもらって今に至ってるんだな、と思います。
インタビュー風景
最後に、梅野さんにとって“外語っぽい”って何でしょうか。
うーんなんでしょうか。コミュニケーション能力があるってことなのかな…。なんとなく思いますけど、外語生って目の前の人に対する興味が異常に強いっていうのはありませんか?言語って理系と違って、常に人がいないと話にならない学問じゃないですか。でもそれはどんな仕事に就いてても大事。そこが外大生の魅力だと思います。それと、世界を一度フラットに見る目が養われるよね。一度社会に出れば、国どうしの力関係とか経済的格差とか、いろんな差が存在してるけど、外語の中にいる間は、自分の対象とする国だけを見られて、その国の言葉でその国のことが学べるでしょう。差異化の外にいられるというか、そういう時期が社会に出る前に持てるのはすごく特別だと思います。
次回更新は5月上旬です!

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